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織田歯科医院の歴史

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織田歯科医院の歴史

明治19年(1886年)
初代信福開業(博済病院歯科)
大正15年(1926年)
二代正敏、升形(現在地現建物)に移転開業
昭和60年(1985年)
三代桂輔より四代英正に院長交代
平成2年(1990年)
医療法人オダ・デンタルオフィス設立

  • 明治18年3月
    織田信福 開業試験合格証 第七号

  • 大正7年10月
    博済病院歯科部治療簿

  • 昭和元年 新築当時の
    織田歯科医院ビル

織田信福(おだのぶよし)について

万延元年(1860)2月9日高知県西部宿毛の生まれで、初名は「羽田馬三郎」です。
明治元年(1868)には宿毛の伊賀家の家臣として羽田馬三郎の名があります。明治6年(1873)12月28日には、幡多郡宿毛村第208番小学下等小学第七級を卒業しています。証書には「羽田信福」13歳9ヶ月とあります。

信福の最初の写真で、明治10年前後の撮影ではないかと思われます。
オリジナルは7cm×9cmのガラス湿板です。

明治13年(1880)

高知に転居し医師・山崎立生の門下生(鼎立義塾)となりますが、程なく明治14年(1881)12月、立生は53歳で死去、信福は進路を失ってしまいます。

明治17年~18年

上京し、銀座で歯科診療所を開業していた高山紀齋に師事します。

明治18年(1885)

第2回歯科医術開業試験に合格(3月31日歯科医術開業試験及第之証第7号)し、歯科医籍に登録(「織田信福」25歳歯科医術開業免状7月4日第9号)されます。

明治18年(1885)11月25日

山崎竹(亡父立生次女)と結婚、入籍しました。

明治19年(1886)3月18日

町田眼科(町田旦龍)内で歯科を開業し土陽新聞に広告を掲載しました。
11月には移転し、博済病院(高知市帯屋町)となります。

明治20年代の高知教会関係者の写真
前列左端が30歳前?の織田信福です。後列中央には洋装した坂本直寛の姿が見えます。
この写真の人物名はほとんど分かっており、高知市立自由民権記念館に展示されています。

明治32年(1899)1月13日

待望の長女・富士が誕生します。

明治36年(1903)11月2日

大日本歯科医会(会長・高山紀齋)が発会、同時に大日本歯科医会高知部(会長・織田信福)も発会します。

明治41年(1908)6月10日

妻・竹が永眠します。享年42歳

大正4年(1915)12月8日

新たに高知県歯科医師会(会長・織田信福)が設立されます。

大正14年(1925)12月

高知市升形に現在の織田歯科医院ビルが落成します。

大正15年(1926)1月13日

信福没(享年66歳)落成したビルの1階応接室に布団を敷いて最後を迎えたと伝わっています。

織田竹(信福の妻旧姓山崎竹)について

慶応2年(1866)2月15日医師・山崎立生の次女として佐川に生まれました。

山﨑立正は明治3年(1870)高知藩兵係となり高知に転居、明治7年(1874)高知県病院で助教を務めた後、帯屋町(追手筋)に開業しましたが、明治14年(1881)12月、53歳で死去しています。

明治15年(1882)2月4日

高知女子師範学校を卒業し、教職に就きます。

明治18年(1886)11月25日

信福と結婚し入籍しました。

明治32年(1899)1月13日

竹が32歳の時、待望の長女・富士が誕生します。

明治41年(1908)6月10日

竹は42歳で永眠しました。

明治33年(1900)6月の織田家です。
左より信福、冨士、竹と養女の猪佐です。
猪佐は後に県外に嫁ぎ、富士は十市正敏(大正4年(1915)私立日本歯科医専卒(第4回卒))と大正7年(1918)1月30日に結婚し織田家を継ぐことになります。
信福と竹はともに自由民権運動に参加しました。
この写真の一部は自由民権記念館に展示されています。

大正3年(1914)春、高知市本町の藤本写真館に万延元年(1860)申年生まれの12名が集合して記念写真を撮り、裏面に署名をしました。前列中央が織田信福です。当時猿の絵の名人といわれた柳本素石の描いた12頭の猿の絵もあります。

撮影年は不明ですが、後年の織田信福です。
高知田村写真館で撮影された写真です。

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